髙島屋

髙島屋呉服催事「百選会」は1913(大正2)年に創設され、当初から各方面より多くの文化人を招いて開催されました。毎回流行色とテーマを提示し、全国の産地から染織品の新柄募集を行い、髙島屋が審査発表する斬新でモダンなきもの催事として特に大正から昭和中期にかけて人気を博しました。 歌人与謝野晶子は「百選会」の顧問の一人として1917(大正6)年ごろから1940(昭和15)年までかかわり、流行色の命名や、百選会の「きもの」に対して歌を詠んでいました。与謝野晶子が詠んだ歌は、髙島屋のパンフレットに掲載されただけで、与謝野晶子の全集などに掲載されることはほとんどございませんでしたが、近年、関係者による調査が進められ、与謝野晶子が詠んだ詩歌は463首7編、流行色の命名は286色に及ぶことがわかりました。